平和の大鳥居で迎える「初日の出」
(羽田の大鳥居)
元旦の早朝、羽田空港の一角にある平和の大鳥居に集まって、初日の出を迎える新年行司が根強い人気があります。大鳥居のたもとでは地元のボランティアが、羽田産のシジミ汁と樽酒を無料で振舞ってくれます。
羽田 平和の大鳥居で迎える「初日の出」。毎年大勢の人で賑わいます。
敗戦悲話を秘めた羽田の大鳥居
初日の出の名所は、日本国中にたくさんありますが、東京では「羽田の大鳥居から見る初日の出」が名所のひとつであることは間違いありません。
毎年多くの参拝客が羽田の大鳥居を訪れ、東京湾に昇る初日にむかって、新しい年の家内安全と大願成就をお祈りします。
それにしても、羽田の大鳥居には、敗戦にまつわる悲しい歴史が秘められています。
詳しくは後述しますが、羽田の大鳥居は、もともとは羽田空港に隣接した穴守稲荷神社の一の鳥居でした。
戦後駐留した進駐軍(アメリカ軍)によって神社もろとも接収されましたが、それ以降、大鳥居を解体しようとすると人身事故が相次ぎ、「たたりの赤い鳥居」と呼ばれて恐れられてきました。
二度と戦争の悲惨さを繰り返してはならない。そういう思いから大鳥居に「平和」の額が掲げられ、現在の地に移設して保存されることになりました。以来、この大鳥居は「平和の大鳥居」と呼ばれています。
元旦の朝、平和の大鳥居で迎える「初日の出」は、格別な趣があります。
多摩川河口の「初日の出」
平和の大鳥居で迎える元旦の朝
■初日に祈る
ご夫婦でしょうか? 初日の大鳥居に向かって、じっとたたずむ姿が印象的でした。
■羽田産 江戸前シジミ汁の無料振る舞い
大鳥居のたもとでは、地元のボランティアの方々が、参拝客のために熱っつ熱っつの江戸前しじみ汁と、お神酒の樽酒を無料で振舞っていました。
しじみ汁に使われているシジミは、もちろん地元の羽田産。多摩川河口で採れた大和シジミです。
早朝の冷えた身体に、あったかい「おもてなし」がしみ込みます。
■東京湾に昇る初日
多摩川の河口で見る東京湾に昇る初日。川面の残照が初日と対をなして輝きます。
大鳥居の向こうに見えるのは羽田空港(東京国際空港)、右手の多摩川の対岸は川崎市浮島町の工場群です。
■初日の中を海に向かって進む漁船
多摩川河口から海に向かって、一艘の漁船がすすんでいきます。元旦からまさか漁はしないでしょうから、愛艇の初乗りといったところでしょうか。
人それぞれに迎える元旦の朝です。
悲しみを秘めた羽田の大鳥居
敗戦で進駐軍に接収
羽田の大鳥居は、もともとは羽田空港に隣接した穴守稲荷神社の一の鳥居でした。
1945年(昭和20年)8月、日本は戦争に敗れ、駐留した進駐軍(アメリカ軍)は、この土地を接収し新たな空港を造ることにしました。そこで9月に、旧羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町の全住民1200世帯、3000人余りとともに、穴守稲荷神社に対して48時間以内に立ち退くように、緊急立退き命令が出されました。
住民が立ち退いたあと、3つの町は一夜にして跡形も無く破壊されました。ところが、羽田穴守町にあった赤い鳥居だけは壊されずに、更地の中にぽつんと残されたままになっていたのです。
たたりがあるとのいわくの大鳥居
なぜ大鳥居が残されたのかの真意は分かりませんが、大鳥居を米軍が壊そうとすると事故が相ついだのだそうです。
工事にかりだされた労務者が二度も鳥居のてっぺんから足をすべらせて落ち、米兵も機械に挟まれて亡くなりました。ロープが切れてジープがひっくり返って怪我人がでる事故も発生しました。そのため工事は中止され、大鳥居は以後「たたりの赤い鳥居」と呼ばれるようになって誰も近寄らなくなってしまいました。
二度目のたたりは1982年(昭和57年)です。羽田空港拡張計画が具体化し大鳥居の撤去も決定しました。ところが、その直後の同年2月、日航機が羽田空港に着陸直前、機長が逆噴射をおこなったため海上に墜落。24人が死亡する大惨事が発生しました。
このため「鳥居を壊そうとするとたたられる」との噂が信憑性を増し、撤去計画は再び立ち消えになったのでした。
三度目の解体計画
ようやく移設保存を決定
羽田空港の沖合展開事業で新しいB滑走路を建設することが決定。大鳥居も解体撤去を余儀なくされました。ただし今回は、元住民を中心とする多くの人々の保存運動により、大鳥居は解体せずに移設して保存することになりました。
そうして1999年(平成11年)2月、旧羽田穴守町から800メートル離れた現在の地(旧羽田鈴木町)に移設されたのです。
■現在の平和の大鳥居
羽田空港の一角、多摩川と海老取川の合流点に移設された大鳥居。
「羽田ボランティア推進の会」の努力によって手厚く守られています。
移設後は「平和の大鳥居」と呼ばれるようになりました
「平和」の額が掲げられた大鳥居
羽田の大鳥居には悲しい歴史が詰まっています。戦争の悲劇と東京空襲に加え、終戦後はGHQによる緊急立退き命令を受け、3000人もの住民が突如家を失い離散を余儀なくされました。
二度と戦争の悲惨さを繰り返してはならない。そういう思いから、羽田ボランティア推進の会は、移設された大鳥居に「平和」の額を奉納しました。今では「平和の大鳥居」と呼ばれるようになりました。
■青空に浮かぶ「平和」の文字
悲しい歴史を秘めた大鳥居。羽田の大鳥居は、いまでは「平和の大鳥居」と呼ばれて市民から親しまれています。
多摩川河口の名所のひとつです。
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