多摩川の堰(せき)
歴史的価値が高い多摩川の堰
多摩川の堰(せき)~多摩川には歴史的価値が高い、美しい堰がたくさんあります。調布取水堰、二ヶ領上河原堰、羽村取水堰などなど。多摩川にかかるこれらの堰についてまとめました。
二ヶ領上河原堰/多摩川には歴史的価値が高い美しい堰がたくさんあります。
多摩川は笠取山を源流とし、山梨県・東京都・神奈川県を流下して東京湾にそそぐ、多摩川水系の本流をなす大河です。
全長138kmのうち、上流域の万年橋(東京都青梅市)から河口に至る64.3kmの区間は、国土交通省京浜河川事務所が直轄管理しています。
この直轄管理区間には大きな堰が8基あります。
下流から順に、調布取水堰・二ヶ領宿河原堰・二ヶ領上河原堰・大丸用水堰・日野用水堰・昭和用水堰・羽村取水堰・小作取水堰です。
いずれも歴史的価値が高い、貴重な堰です。
ここでは、これら8基の堰を一挙に紹介します。それぞれの堰の歴史に思いをはせながら、ウェブ散歩を楽しんでください。堰でつづる多摩川散歩です。
多摩川の堰・解説
多摩川の堰(概要)
多摩川に設置されている堰のマップ(位置図)です。国土交通省京浜河川事務所が直轄管理している8基の堰の位置が概観できます。
(※マップの拡大は、画像をクリック/タップしてください)
(出典:国土交通省京浜河川事務所)
多摩川の堰(個別解説):下流~中流域
1.調布取水堰(河口より13.3km)
調布取水堰は、多摩川で一番河口に近い、最下流にある取水堰です。昭和11年(1936年)に国が飲料水の供給のために作りましたが、多摩川の水質悪化などにより昭和45年に上水の取水を停止して以降、現在は工業用水のみに利用されています。
最近では多摩川の水質もすっかり改善され、多摩川を遡上する天然アユの数も増加してきました。毎年アユの遡上シーズン(3月下旬~6月下旬)には、アユの遡上を邪魔しないように可動堰を倒して堰による水位差をほとんどなくするようにしています。
2.二ヶ領宿河原堰(河口より22.4km)
二ヶ領宿河原堰は、上流にある二ヶ領上河原堰と並んで、多摩川の水を二ヶ領用水に分水する取水堰です。二ヶ領用水は、徳川家康の命により1611年(慶長16年)に完成した農業かんがい用水です。
現在の二ヶ領宿河原堰は平成11年に完成した新しい堰ですが、昭和39年には古い堰が原因で左岸の堤防が決壊し、狛江市の住宅19棟が流出する大水害が発生しました。この多摩川水害の教訓を後世に残すために、決壊した宿河原堰の跡地に「多摩川決壊の碑」が建立されています。
3.二ヶ領上河原堰(河口より25.8km)
二ヶ領上河原堰は、二ヶ領用水のために作られた多摩川で初めての取水堰です。
ここで取水された多摩川の水は、二ヶ領用水(本川)となって流下し、途中で宿河原用水と合流して、久地の円筒分水に至ります。
堰の上流は静かな人造湖になっていて。コイやフナ釣りに適した場所が続いています。ウィンドサーフィンやカヌー・カヤックなどを楽しんでいる人たちも見かけます。
4.大丸用水堰(河口より32.4km)
大丸用水(おおまるようすい)は、稲城市大丸の取水口から川崎市登戸まで流れる総延長70kmにおよぶ江戸時代初期に開削された農業用水です。現在でも稲城市から川崎市多摩区生田での梨園や水田等に水を供給しています。
その取水堰が大丸用水堰です。大丸用水堰は、当初は現在の取水口よりも下流に位置していましたが、1943年(昭和16年)に現在の位置に移転されました。それまでは石を入れた竹蛇篭(じゃかご)を積み上げて堰を構築していましたが、1959年(昭和34年)に鉄筋コンクリート堰に改修されました。
多摩川の堰(個別解説):中流~上流域
5.日野用水堰(河口より45.2km)
日野はかつて「多摩の米蔵」と呼ばれていたほど稲作が盛んでした。多摩川と浅川から引かれた農業用水路が市内を網の目のように流れ、大変水に恵まれていたからです。
その用水路の中でも、日野用水は一番古い用水で、室町時代後期の永禄10年(1567)に開削されたといわれています。
長い間、日野用水は、上堰用水とその少し下流の堰から取水する下堰用水の二つの流れとなっていました。その後、紆余曲折を経て、昭和37年からは、JR八高線多摩川鉄橋の上流にある日野用水堰から取水するようになりました。現在見られるコンクリート製の美しい日野用水堰です。
6.昭和用水堰(河口より47.9km)
昭和用水堰は、多摩川と秋川の合流点に施設された昭和用水の取水堰です。
昭和用水は、かつては九ヶ村(現在の昭島市、立川市の拝島、大神、築地ほか)を灌漑していたことから九ヶ村用水と呼ばれていました。この用水の開削は古く、室町時代には用水路の原形が作られたと言われています。
九ヶ村用水取水口から引く水の量が少なくなったことから、1933年(昭和18年)に取水堰を現在の位置に移動。1955年(昭和30年)にはコンクリート製の堰として改修されました。
昭和用水堰は、多摩川・秋川の両川から水を取り入れて昭和用水へと流し、いまでも市域の田畑を潤しています。
7.羽村取水堰(河口より53.9km)
羽村取水堰は、江戸時代に開削された歴史的にも有名な玉川上水の取水堰です。江戸の飲料水不足を解消するために、幕府の命により構築されました。
羽村取水堰は、固定堰と投渡堰(なげわたしぜき)の2つの堰で構成されています。
投渡堰というのは、堰の支柱と支柱のあいだに丸太や粗朶(そだ=木の枝)を柵状に設置して川水を堰き止める構造です。大水のときには丸太や粗朶を外すことで川水を滞りなく流下させ、堰の破壊や洪水被害を免れます。
この仕組みは堰が設置された1654年当時からほぼ変わらずに現在まで引き継がれており、歴史的価値の高い施設として土木学会選奨土木遺産にも認定されています。
8.小作取水堰(河口より55.9km)
小作取水堰は、多摩川の水をせき止め、山口貯水池(狭山湖)に送水するための堰です。
ここで取水された水は、地下導水管を通り山口貯水池(埼玉県所沢市)へと送られます。貯水池に一時的に蓄えられた多摩川の水は、近くの東村山浄水場に送られ、都民の水道水に生まれ変わります。
小作取水堰は、洪水吐ゲート4門、土砂吐ゲート1門、魚道2箇所を備えています。1980年(昭和55年)完成。東京都水道局が管理しています。
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