丸子川(次大夫堀)上流域の散策情報
(仙川から調布橋まで)
丸子川(次大夫堀)上流域~丸子川(次大夫堀)は現在に残る六郷用水の一部です。ここでは仙川水神橋の丸子川取水口から二子玉川の調布橋に至るまでの、丸子川上流域の散策情報をお届けします。
世田谷区内には、丸子川と名を変えて今でも次大夫堀(六郷用水)が残されています。
六郷用水(次大夫堀)は、徳川家康の命により、多摩川左岸の六郷領(いまの東京都大田区)を潤す農業用かんがい用水路として開削された、歴史的価値が高い由緒ある用水です。
時代が変わって、いまでは用水路としての役目はほとんどなくなりましたが、反面、市民の憩いの場所として、また散策やウォーキング、ジョギングなどの生活インフラとして、その存在はますます重要性を増してきています。
ここでは、そんな魅力いっぱいの六郷用水(次大夫堀)の素顔を、5つのページに分けて紹介します。
◇六郷用水(次大夫堀)とは~総合解説
◇六郷用水の上流域
◇丸子川~仙川から調布橋 ※このページです
◇丸子川~調布橋から亀甲山
◇六郷用水~女堀と南北引分
丸子川上流域~仙川から調布橋まで
丸子川~いまに残る次大夫堀の流れ
仙川脇の湧水が水源
丸子川は、古い時代の次大夫堀の流路の一部をそっくり今に残したものです。とはいっても、仙川合流部から上流側の次大夫堀は埋め立てられているため、現在の次大夫堀の最上流は仙川に架かる水神橋の脇ということになります。
仙川の左岸に沿って、国分寺崖線から湧き出す湧水を集めて流れる小さな水路があります。これが現在の丸子川の水源であり、出発点になります。
湧水が流れる仙川沿いの小さな水路。前方の木橋付近から水路は仙川を離れ、ここから丸子川がスタートします。
丸子川(次大夫堀)の流路
丸子川の上流域の流路図です。
世田谷区岡本三丁目の仙川水神橋脇からスタートした丸子川(次大夫堀)は、ひたすら国分寺崖線に沿って流下します。途中には岡本公園民家園や静嘉堂文庫、瀬田アートトンネル、大山街道や二子の渡しとも関連深い調布橋などがあります。
丸子川(次大夫堀)の散策
上流域は親水公園に!
丸子川の上流域は、水神橋から下山橋の区間が「丸子川親水公園」として整備されています。
歩道も整備され、気持ちよく水辺の散策が楽しめます。
親水公園は子供たちの格好の遊び場です。
江戸時代から昭和の初期にかけて水田耕作に貢献してきた次大夫堀(六郷用水)は、現在では目的も姿も変えて、地域の生活環境にすっかり溶け込んでいます。
流れのいたるところにクレソンが自生していました。クレソンは、比較的きれいな水質を好む野菜です。湧水が流れ込む丸子川は、クレソンの生育にも適しているようです。
国分寺崖線に沿って流下
丸子川は上流端から下流端まで、終始、国分寺崖線に沿って流下します。
国分寺崖線というのは、古多摩川が武蔵野台地を削ってできた連続した崖のつながりです。したがって、丸子川の左岸側は大体いつも崖ということになります。
国分寺崖線に沿って流れる丸子川。
世田谷区岡本二丁目、静嘉堂文庫あたり。
丸子川に沿ってよく見かける川の上の「私用橋 (my Bridge)」。個人住宅専用の橋です。
家の裏が崖で入れないからでしょうか。こちらのお宅は丸子川の真上に門扉があり、鍵も掛けられるようになっています。
ほかにも車庫と直結した橋、庭と直結した橋など、いろいろあります。
交通の要衝「調布橋」~大山街道との交差点
調布橋は、大山街道が次大夫堀(丸子川)と交差するところに架けられた橋です。江戸時代には大山詣での人々の往来で大変な賑わいだったようです。
丸子川が玉川通りをくぐり、東急田園都市線を通過すると、調布橋はすぐそこです。
国道246号「玉川通り」と交差するあたり。途中から丸子川沿いの遊歩道(側道)が無くなり、散策は車道脇を歩きます。
玉川通りの少し手前で、丸子川にかかる青い小さな橋を左に曲がると「瀬田アートトンネル」があります。
玉川通りを過ぎると、300mほどで丸子川は東急田園都市線の下をくぐります。この区間だけは丸子川に沿って人が通れませんので、一旦丸子川を離れて、線路沿いに南下してから反対側に回り込みます。
調布橋です。ここから丸子川に沿って50mほど進むと大山道の道漂があります。そこで右折して真っ直ぐ多摩川に進むと「二子の渡し」がありました。
江戸時代はみんなここを往来していたのですね。当時のメインストリートです。
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丸子川(次大夫堀)の周辺施設
◇瀬田アートトンネル
国道246号玉川通りの下を通過する区道のトンネル。モザイク壁画と照明が美しい第一級のトンネル芸術作品です。
詳しくは ⇒瀬田アートトンネル
◇岡本公園民家園の繭玉かざり
世田谷区立岡本公園民家園では、小正月の伝統行事「繭玉飾り」を誰でも参加して楽しむことができます。
詳しくは ⇒小正月の繭玉飾り
◇玉川電気鉄道の砧線跡歩道
東急玉川線(通称玉電)の砧支線(きぬたしせん)の跡地です。砧線は多摩川で採れる砂利を東京市内に運ぶためにつくられましたが、1966年(昭和44年)に廃線となりました。
◇瀬田の行善寺と行善寺坂(せたがや百景)
国分寺崖線の高台は眺望がよく、多摩川を一望することができます。とりわけ行善寺から見る多摩川の眺めは絶品とされ、江戸時代から玉川八景として有名でした。徳川将軍も遊覧の折、行善寺にはしばしば立ち寄ったと伝えられています。