多摩川散歩

東京都と神奈川県の境を悠然と流れる多摩川。多摩川の魅力をたっぷり紹介します。

多摩川氾濫~多摩川決壊の碑
(昭和49年「多摩川水害」のモニュメント)

多摩川決壊の碑~昭和49年(1974年)9月に多摩川が氾濫。「多摩川水害」が発生しました。この多摩川決壊の碑は、後の裁判で人災と認定された首都圏の大水害のモニュメントです。水害の発生から裁判の結果、そして現在の宿河原堰の状況まで、詳しく解説します。

多摩川決壊の碑~昭和49年「多摩川水害」のモニュメント/多摩川氾濫・多摩川散歩
多摩川決壊の碑。「多摩川水害」と呼ばれる首都圏大水害の記念碑です

昭和49年(1974年)9月、台風16号の洪水により多摩川が氾濫。左岸の堤防が決壊して、東京都狛江市の民家19棟が流失するという大水害が発生しました。
濁流に住宅が次々と呑み込まれていく。そんなシーンがテレビで全国放送され、日本全体に大きな衝撃を与えました。

首都圏の住宅地で、しかも大河川・多摩川の「本堤防」が決壊するという、信じられないような光景です・・・

多摩川水害(あるいは狛江水害)とも呼ばれるこの水害は、のちの裁判で「人災」と認定され、国の管理責任が厳しく糾弾されました。

多摩川決壊の碑」は、この多摩川水害の教訓を後世に残すために、災害現場の左岸河川敷に建立されたものです。
写真に写る多摩川決壊の碑の後方には、水害の原因となった「二ヶ領宿河原堰」の堰堤が、葉を落とした潅木越しに見えています。「あばれ川」の異名を持つ多摩川の、悲しい歴史のひとコマです。

多摩川決壊の碑

多摩川水害(狛江水害)とは

都市河川で発生した堤防決壊水害

多摩川は、かつては「あばれ川」として知られ水害を繰り返していましたが、それは遠い昔のこと。治水対策が進んだ昨今では、多摩川は「穏やかで安全な川」。多摩川がまさか氾濫するとは夢にも思っていなかった人がほとんどだったと思います。
そんな多摩川が突如として牙をむいた・・・そんな悪夢のような出来事でした。

昭和49年9月(1974年)、台風16号が関東地方に襲来。大雨による洪水で多摩川が氾濫。二ヶ領宿河原堰わきの左岸堤防が決壊して、東京都狛江市の民家19棟が流出しました。これが多摩川水害(狛江水害)です。

堤防が決壊して濁流に呑み込まれていく住宅

多摩川水害 堤防が決壊して濁流に呑み込まれていく住宅~多摩川決壊の碑 昭和49年「多摩川水害」のモニュメント/多摩川散歩

このショッキングな家屋流出シーンは、後のテレビドラマ「岸辺のアルバム」でも実写映像が使用され、視聴者に改めて水害の怖さ、もどかしさを実感させました。(写真は毎日新聞による)


堤防決壊の全貌

多摩川水害 堤防決壊の全貌~多摩川決壊の碑 昭和49年「多摩川水害」のモニュメント/多摩川散歩

堤防決壊の全景写真です。左岸側(写真では右側)が弯曲して、大きくえぐり取られているのがわかります。

ただ、本堤防が決壊したのに市街地は浸水していません。洪水は堤防よりも低かったのです。ここに、この水害の特殊性があります。(写真は狛江市HPによる。「悪夢のような多摩川堤防決壊」)


本堤防決壊の原因

越流ではなく「洗掘」

堤防の決壊は、二ヶ領宿河原堰の左岸取付部から始まりました。

取付部は本堤防よりもはるかに低い河川敷にあるのですが、洪水が河川敷まで上がった段階で、取付部上流側の小堤防が崩壊しました。この小堤防は流水を堰の方向に導流するためのものですが、厚さも15cm程度しかない植石コンクリート造りで強度も小さいものでした。

小堤防が崩壊すると、左岸側への迂回流が生じて堰の左岸取付部を洗掘しました。それによってさらに大きな流速の迂回流を誘発する結果となり、河川敷が洗掘され、それが進んで本堤防までも侵食するようになったのです。そしてあの忌まわしい大水害となりました。

迂回流発生の状況図

多摩川水害 迂回流発生の状況図~多摩川決壊の碑 昭和49年「多摩川水害」のモニュメント/多摩川散歩


(図は国土交通省京浜河川事務所HPによる。「あの教訓を忘れないために:多摩川決壊の碑」)

堰の固定部を爆破して河道を確保(緊急措置)

多摩川水害の原因は明らかです。二ヶ領宿河原堰が洪水の流れを阻害したこと。せき止められた洪水が左岸河川敷の小堤防を破壊し、これによって大きな迂回流が生じて本堤防に流れがぶつかり堤防を洗掘したことです。

ダイナマイトによる堰の爆破・解体

多摩川水害 ダイナマイトによる堰の爆破・解体~多摩川決壊の碑 昭和49年「多摩川水害」のモニュメント/多摩川散歩

狛江市災害対策本部では、濁流の進路を変えるために宿河原堰の固定部を爆破することを決定。陸上自衛隊と建設省(現・国土交通省)によって堰の爆破が行われました。(写真は毎日新聞による)


この緊急対策が功を奏してようやく迂回流が止まり、被害の拡大を何とか食い止めることができました。

原因となった宿河原堰を爆破・解体するという荒療治でしたが、迂回流さえなくなれば「ごく普通の洪水」です。堤防を越流するほどの高い水位では勿論ありません。

多摩川水害訴訟

住民勝訴で決着

堤防復旧後、国は流された宅地約3000平方メートルは元に戻し、堰の爆破による二次災害2300万円余りについて補償を行ないました。
ただ、流出家屋等の弁償をしなかったために、昭和51年(1976年)、家を流された住民をはじめとする30世帯33人の原告が、国を相手取って国家賠償を求めて提訴しました。これが約16年に及ぶ「多摩川水害訴訟」の始まりです。

裁判の争点は、

  • 1)河川管理者が災害当時、事前に災害発生の危険を予測することが可能であったか?
  • 2)本件災害を回避するために事前に適切な防災措置を講じることが可能であったか?

ということでした。つまり、国の管理に「瑕疵があったのかどうか」、堤防決壊は「天災なのか人災なのか」が問われた難しい裁判でした。

裁判の結果、一審は原告の住民が勝訴。二審の控訴審では国が勝訴しました。これを不服として原告側が上告した上告審では二審の判決が破棄差戻しとなり、平成4年(1992年)、差戻控訴審で住民が勝訴してようやく判決が確定しました。

多摩川水害は、国の瑕疵責任を認めた「人災」という結論が示されたことになります。

多摩川決壊の碑

二度と災害を起こさないための決意

この多摩川水害の教訓を後世に残すために、決壊した宿河原堰の跡地(狛江市猪方四丁目)に「多摩川決壊の碑」が建立されました。現在の宿河原堰の40mほど上流側の河川敷になります。

清く澄んだ多摩川と青空をモチーフにしているのでしょうか。青い三角錐(ピラミッド型)の記念碑には金色に輝く銘板が埋め込まれています。そこには堤防決壊時の写真とともに「碑文」がしるされていました。

  • 多摩川決壊の碑 昭和49年「多摩川水害」のモニュメント/多摩川散歩
  • 多摩川決壊の碑に埋め込まれた金色に輝く銘板~多摩川決壊の碑 昭和49年「多摩川水害」のモニュメント/多摩川散歩

碑文(全文)

碑文には、水害を防げなかった河川管理者の無念さ、悔しさ、二度と災害を起こさないという決意がにじみ出ています。ここでは、敢えて全文を掲載しておきます。皆様も一度、じっくりと読んでみてください。

 碑文

 昭和49年(1974)8月31日深夜から9月1日夕方にかけて、台風16号の影響をうけ、上流氷川を中心とした多量の降雨のため、多摩川の水位が上昇を続けました。この出水により、1日昼ごろ、二ヶ領宿河原堰左岸下流の取付部護岸が一部破壊されたのを発端に、激しい迂回流が生じたため高水敷が侵食され、懸命な水防活動もむなしく、午後10時過ぎには本堤防が決壊し、住宅地の洗掘が始まりました。迂回流はその後も衰えを見せず、本堤防260mを崩壊させたうえ、1日深夜から3日午後までの間、狛江市猪方地区の民家19棟を流失させる被害をもたらしました。
 この「多摩川水害」は、首都圏の住宅地で発生し、3日間という長時間にわたった特異な災害であり、報道機関によってリアルタイムに全国に報じられ、多くの国民の注目を集めました。
 建設省は、災害直後から速やかに本堰周辺の復旧工事を進め、翌年には完了させるとともに、「多摩川災害調査技術委員会」を設置し、いち早くその原因の究明にあたりました。
 一方、被災住民は国家賠償法に基づき提訴し、河川管理の瑕疵について改めて指摘された水害ともなり、平成4年(1992)に判決が確定しました。
 平成10年(1998)、従来の堰より40m下流に、洪水を安全に流すとともに、豊かな水辺環境の保全と創造を目的とした新しい堰が完成しました。
 ここに、水害の恐ろしさを後世に伝えるとともに、治水の重要性を銘記するものです。

 平成11年3月27日

 建設省京浜工事事務所
 狛江市

新しい宿河原堰

裁判が終了した翌年の平成5年(1993年)年、建設省は「多摩川河道検討委員会」を設置し、二ヶ領宿河原堰の改築について関係機関や地元住民とともに堰の構造などについて検討をくり返しました。
その結果、洪水時引上式スライドゲート1門と洪水時起伏式の可動堰5門を備えた「全横断の可動堰」にすることと、魚道も1箇所から3箇所へ増設することなどが決定されました。

平成11年(1999年)3月、従来の堰より40m下流に新しい堰が完成しました。私たちが現在見ている「二ヶ領宿河原堰」です。

  • 宿河原堰(左岸側:起伏式可動堰)~多摩川決壊の碑 昭和49年「多摩川水害」のモニュメント/多摩川散歩
    宿河原堰(左岸側:起伏式可動堰)
  • 宿河原堰(右岸側:引上式スライドゲート)~多摩川決壊の碑 昭和49年「多摩川水害」のモニュメント/多摩川散歩
    宿河原堰(右岸側:引上式スライドゲート)

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